たそがれDIARY

ふと、文章力が欲しいなと感じた今日この頃。練習のために日記をつけようと思い始めてみました。

愛し愛されってなんだろう

ふとそんな事がよぎった今日のお昼時。

 

残りわずかで効力を失う学生証とアニ○イトで漫画を買おうとこしらえた1000円札5枚を握りしめ、閑散とした昼時の裏路地へ向かう。

 

ここを曲がれば、もう少しでたどり着く。

周りの視線を感じながらも、性欲という名の護符を身につけている私には何のその。

 

蔑むような、ないしは憐むような視線をかいくぐり冒険の幕を切って落とした。

 

中に入ると、少しムッとした表情の門番が待ち構え

「ご指名ありますか」

と定型文をNPCのごとく語りかけてくる。

 

「いえ、フリーでお願いします。」

紳士的な対応でその場を乗り越え、Now Loading…

 

「こんにちは〜、今日は何かの帰りですか〜?」

と明るめのお姉さんとご対面。

身体には至る所にタトゥーが施してあり、幾千の戦場を乗り越えてきたのだろうと心の中で彼女を労う。

 

始まってしまえば、探索終了まではあっという間で30分もあればレベルアップもこなせてしまうとても優れたクエストである。

 

途中、喉が乾けば聖水を飲む事もできるし、そろそろ本腰を入れるかと意気込む際には心の中で魔法の呪文「バイ○グラ‼︎‼︎‼︎…否、バイ○ルト‼︎‼︎‼︎」と唱えれば、たちまち攻撃力が二倍となり優位に探索を進める事ができるのである。

 

しかし、侮ってはいけないのが最後に待ち構える通称ラ ス ボ スである。

ボス攻略には制限時間というものが存在しており、時間内に倒しきらなければ報酬はもちろんの事、経験値すらも貰えなくなってしまうのである。

※探索終了後には非常な疲労感に襲われるため、ポーション持参は必須であるので要注意。

 

「くっ…なかなかやるな。俺のエ○○カリバーが押されるとはな…」

 

艶かしい手つきで私の聖剣を翻弄し、仕舞いにはHPとMPへの同時ドレイン攻撃。

 

「うっ…うわぁぁああぁぁぁあぁ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

気がつけばボス戦は終了しており、目の前には報酬である新たな護符と経験値が。

 

「いつの間に…」

 

正気を取り戻した私は、ふと考えた。

一体、私は何のために戦うのだろうかと。

 

友のため 国のため 家族のため 愛する誰かのため

 

私は気づいてしまった。

 

「ずっと自分意外のために戦っていたんだな」

 

聖闘士モードに覚醒している私には、全ての世界が涅槃のように感じられ、

今まで積み重ねてきた戦いの意味を深く考える事ができたのかもしれない。

 

武闘家になるべきなのか、剣士になるべきなのか

僧侶や魔法使いになるべきなのか。

 

今まで色々な選択に迫られて生きてきたが、

誰かのためではなく

何になるべきなのかではなく

 

”自分がどうしたいのか”

 

これが一番大切なのかもしれない。

 

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最後にあまり関係はないが、気になった愛の定義を引用。

 

古代ギリシャ人は、私たちがよく恋愛関係の初期で感じる強い性的な感情を「エロス」と呼んでいた。

感情はやがて「フィリア」と呼ばれる感情へと変化していく。

古代ギリシャ人が愛を表現する3つ目の言葉、それはアガペーだ。

TABI LABO編集部(2017)『古代ギリシャ人の「愛」に関する哲学。』

 

愛は強い情動であるエロスから始まり、次第に形をフィリア(友情という意味らしい)に変える。

恋をして、愛を育み、情動を欠いてもなお存在し続ける愛。

そして最後にはアガペーと呼ばれる、慈愛の精神へと形を変えるという。(無償の愛とも)

 

 クエスト探索では本当の愛は手に入らない。

RPGをしなくてはいけないのかもしれないなあと。

 

聖闘士モードでつらつらり。(乱文失礼しますた。)

 

今週のお題「卒業」

 

”卒業”という言葉には、あまり良い思い出がない。

辞書によれば、学校の全課程を学び終える事。という意味であるが、私からすれば苦しみ(?)からの解放でしかなかった。

 

小学時代、この時期はいじめからの解放とでも名付けてみようと思う。

どこかで皆と異なることをすると、異質なものとみなされ排除される。

いじめの構造は実に単純であるが、内実はとてもややこしい。

 

小学5年か6年か、3年か4年か、時期は定かではないが何かがきっかけでクラス内でいじめの標的とされた。

 

ちょうどその頃、『ライフ』女王の教室などのある程度の物事に対する考え方が備わっていない子どもが観てしまうと、悪影響を及ぼしかねない題材の作品がテレビで放送されており、クラス内の少しイカれた悲しいやつがこれらの作品に影響を受けたらしい。

 

そのおかげで、上履きを隠されたり、給食をわざとこぼされたり、給食のスープなどは上積みの油だけを掬ってよそられたりなど。いじめの豪華フルコースを振る舞われ、当然、甘美とは到底いえないが、デザートには菌回しや体育などでのハブりも振る舞われたわけである。

 

ただ、机への落書きや雑言などはなかったので、”触らぬ神に祟りなし”状態であったのかもしれない。

 

当時の私は、なんでだろう?と「テツandトモ」ばりにいじめられる原因を考えていたのであるが、全くわからずで卒業式を迎えた。

 

ここで得た教訓は、

人に合わせなくてはならない場面があるということ

人にはいずれ飽きというものがくるということ

いじめの主体は実は悲しい人間であるということ

 

私は楽天家気質が少しあるため、いじめというものを耐えることができたのかもしれないし、いじめられていた期間が意外と短かったというのも耐えられた要因の1つかもしれない。

 

なんにせよ、今の生活は楽しいかと言われれば微妙と答えるが、充実はしているのでよかったなあと物思いにふけることができる次第である。

 

中学時代は同級生に謎の嫉妬をされ、ネチネチネチネチと中学3年の中頃から卒業までしつこく絡まれたわけであるが、私は心底「お前は三日三晩夏場に手をつけずに常温放置をしていたおにぎりか」と言いたくなるくらいの粘着具合であったわけで。当然具は納豆でも入っていたのか、と思うくらいのネバネバ度合いであった。

 

また、人生初の喧嘩(拳を握りしめるタイプの)もちょうどこの時経験したわけである。無論言うまでもないが、私は一方的に殴られ、その後やや腫れぼったい表情のまま、卒業アルバムの写真を撮ったのである。※卒アルはもうない。(夏目漱石風に)

 

あまり深くもなんともない中学時代で得た教訓は、

嫉妬はこわああああいということのみ。

 

そして最後の高校時代。

友には恵まれた、青春もセンブリ茶並みに苦いものを味わった。(飲んだことはない)け、れ、ど

 

教師からの、がなんともいえなかった。

 

疲れてきたので、内容は割愛するが、要点を列挙するとすれば

・身体的特徴を馬鹿にされた(exお前ハゲてるな、ブサイクだな(?)などなど)

・進路に関して否定しかされなかった(ex浪人してもお前には無理だよ、ふっと鼻で笑われるなどなど)

・ちょっと態度が悪かった時に胸ぐらを掴まれ恫喝された(exお前みたいなの昔なら殴ってた、退学にしてたなどなど)

 

ここで得た教訓は、

大人ってこえーってこと

脳みそガキなやつは年齢重ねてもガキのままってこと

体育教師にはアホが多いってこと

 

あまり教訓とはいえないかもしれないが。。。

 

 

 

と、だいぶ卒業というテーマから逸れてしまったけれど、小中高が嫌でもとりあえず勉強かスポーツかこれ以外でも何かのめり込めることを一つだけ続けて(複数あればそれもよし)、大学にまでいければきっと楽しい未来が待ってるってことは、確実にいえると思う。

 

親がいない、経済的な理由で大学に行けない、大学進学まで心がもたない

などなど正直な話、大学に行くまでに問題がないわけではない。

ただ、ここで提言した以上は、上にあげた3つの要因を緩和、ないしは、解消できるように多方面からアプローチをしたいとは思う。

 

方法はまだまだ思い浮かばないが。

 

とりあえず、人生を卒業するかどうかの判断は、50歳まで生きてから考えよう。

人生RTAは人生を半分生きてからで大丈夫。です。

 

今日はここまで。(乱文失礼しますた。)

2月も終わり、そして別れの季節に。

約3ヶ月ぶりの投稿ということですが、文章力を鍛えるべく開設したブログもここまでくると意味をなさず…

 

自身の継続性のなさに辟易しながら久しぶりの記録です。

 

今週のお題「うるう年」ということですが、ここで1つ最近見かけた「うるう年」関連の感銘を受けた漫画について。

 

『喰う寝るふたり住むふたり』や『モンクロチョウ』の著者である日暮キノコさんという漫画家さんがいらっしゃるのですが、自身のTwitterにて「4年に1歳しか歳を取らない人の話」として「うるう年」を題材?とした短編作品を公開されていました。

 

ありがちと言ってしまえばありがちな作品なのかもしれませんが、絵のタッチや節々の人間の所作がなんともいえない作家さんで、本作品の最後にこんなフレーズがありました。

 

同じ時間を生きる 同じ歩幅で進めなくとも 同じ”今”を ずっと2人で何でもない毎日の名もない幸せ たぶんこれが 誰かと生きる醍醐味

             『0229〜スロウリィ・ロング・ライフ〜』日暮キノコ

 

いつか別れがくると分かっていながらも、人間は誰かと関わりを持ち続けなければならない。

別れがあるから出会いがある。

 

この手の人間関係を表すフレーズには色々なものがありますが、イマイチピンとこない印象があり、

 

なぜ人と関わらなくてはならないのか。

傷つく恐さを知っていながら、わざわざ傷つきにいく必要がどこにあるのか。

自分と他人とは違う存在、であれば歩み寄る必要って。

 

とややひねくれた考えを少しばかり持っていました。

 

けれど、私が本作品の作者が好きであるというのもありますが、「誰かと生きる醍醐味」なぜかこの言葉に惹かれるものを感じたのです。

 

「幸せ」ってよくわからない。

「愛」って目に見えないし。

絵空事のようにも思っていた上の単語2つ。

これらは曖昧であるから、いいのかもしれない。

 

失う恐さに怯え続けるのか、傷つきを恐れ出会いを避け続けるのか、それともこれらのことを醍醐味として楽しみ、受け入れるのか。

 

まだ四半世紀も生きていない未熟な人間であるが、何が自分自身に影響をもたらすのか、それが良くも悪くも人生を彩ってくれる醍醐味のようなものであればきっと楽しい人生を送ることができるのかもしれない。

 

そのために何が必要なのかを考える必要がある。

 

とりあえず、愛と文章力を学ぶべく谷崎潤一郎氏の作品に傾倒してみようかな。(価値観が歪まぬよう気を付けたい。)

 

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しかし、武漢発祥のコロナブームはいつ終息するのでしょうか。

「もうすぐで卒業式」というところでコロナの大流行に見舞われ、別れを惜しむ間もなく、場合によっては卒業式も無しなんてことも。

 

進路によっては予定がつけられなかったり、諸事情が…などあるかもしれませんが、入学式と同時並行で卒業式を行うのも悪くないかもしれませんね。(会場・日時は当然別で)

 

なんにせよ、更新頻度をあげよう。

文章力をつけなくては。

 

ということで、今日はここでオワリ。(乱文でした。)

 

 

 

「紅葉」とかけまして

「紅葉」とかけまして、

 

慰め時と解きます。

 

 

その心は…

 

どちらも旬(“しゅん”とした表情)の見極めが、肝心でしょう。

 

 

という事で、あまりよろしくない「謎かけ」から始まる本日のお題ブログですが、今週のお題「紅葉」という事で、早速紅葉に触れてみました。笑

 

 

お気づきの方もいらっしゃられると思いますが、上の謎かけ実は「こうよう」ではなく、「もみじ」として用いております。

 

というのも、私事ですが最近よく「狩猟ガール」なるものをよく耳にするようになり、“狩猟”という文化に興味が出てき始めているからです。

 

ちなみに“もみじ”とは隠語で、猪のお肉のことを言い表すみたいですね。

 

 

とまぁ、文章力を上げるためにとりあえず書くをモチーフにブログを始めてみたわけですが、明日は何かしらテーマを自分で定めて書いていけると良いな。と思いました。

 

 

唐突に始めたブログ兼日記のようなものですが、文章力あげたいならこんなものあるよなどのアドバイスお待ちしております。。。