たそがれDIARY

ふと、文章力が欲しいなと感じた今日この頃。練習のために日記をつけようと思い始めてみました。

今週のお題「卒業」

 

”卒業”という言葉には、あまり良い思い出がない。

辞書によれば、学校の全課程を学び終える事。という意味であるが、私からすれば苦しみ(?)からの解放でしかなかった。

 

小学時代、この時期はいじめからの解放とでも名付けてみようと思う。

どこかで皆と異なることをすると、異質なものとみなされ排除される。

いじめの構造は実に単純であるが、内実はとてもややこしい。

 

小学5年か6年か、3年か4年か、時期は定かではないが何かがきっかけでクラス内でいじめの標的とされた。

 

ちょうどその頃、『ライフ』女王の教室などのある程度の物事に対する考え方が備わっていない子どもが観てしまうと、悪影響を及ぼしかねない題材の作品がテレビで放送されており、クラス内の少しイカれた悲しいやつがこれらの作品に影響を受けたらしい。

 

そのおかげで、上履きを隠されたり、給食をわざとこぼされたり、給食のスープなどは上積みの油だけを掬ってよそられたりなど。いじめの豪華フルコースを振る舞われ、当然、甘美とは到底いえないが、デザートには菌回しや体育などでのハブりも振る舞われたわけである。

 

ただ、机への落書きや雑言などはなかったので、”触らぬ神に祟りなし”状態であったのかもしれない。

 

当時の私は、なんでだろう?と「テツandトモ」ばりにいじめられる原因を考えていたのであるが、全くわからずで卒業式を迎えた。

 

ここで得た教訓は、

人に合わせなくてはならない場面があるということ

人にはいずれ飽きというものがくるということ

いじめの主体は実は悲しい人間であるということ

 

私は楽天家気質が少しあるため、いじめというものを耐えることができたのかもしれないし、いじめられていた期間が意外と短かったというのも耐えられた要因の1つかもしれない。

 

なんにせよ、今の生活は楽しいかと言われれば微妙と答えるが、充実はしているのでよかったなあと物思いにふけることができる次第である。

 

中学時代は同級生に謎の嫉妬をされ、ネチネチネチネチと中学3年の中頃から卒業までしつこく絡まれたわけであるが、私は心底「お前は三日三晩夏場に手をつけずに常温放置をしていたおにぎりか」と言いたくなるくらいの粘着具合であったわけで。当然具は納豆でも入っていたのか、と思うくらいのネバネバ度合いであった。

 

また、人生初の喧嘩(拳を握りしめるタイプの)もちょうどこの時経験したわけである。無論言うまでもないが、私は一方的に殴られ、その後やや腫れぼったい表情のまま、卒業アルバムの写真を撮ったのである。※卒アルはもうない。(夏目漱石風に)

 

あまり深くもなんともない中学時代で得た教訓は、

嫉妬はこわああああいということのみ。

 

そして最後の高校時代。

友には恵まれた、青春もセンブリ茶並みに苦いものを味わった。(飲んだことはない)け、れ、ど

 

教師からの、がなんともいえなかった。

 

疲れてきたので、内容は割愛するが、要点を列挙するとすれば

・身体的特徴を馬鹿にされた(exお前ハゲてるな、ブサイクだな(?)などなど)

・進路に関して否定しかされなかった(ex浪人してもお前には無理だよ、ふっと鼻で笑われるなどなど)

・ちょっと態度が悪かった時に胸ぐらを掴まれ恫喝された(exお前みたいなの昔なら殴ってた、退学にしてたなどなど)

 

ここで得た教訓は、

大人ってこえーってこと

脳みそガキなやつは年齢重ねてもガキのままってこと

体育教師にはアホが多いってこと

 

あまり教訓とはいえないかもしれないが。。。

 

 

 

と、だいぶ卒業というテーマから逸れてしまったけれど、小中高が嫌でもとりあえず勉強かスポーツかこれ以外でも何かのめり込めることを一つだけ続けて(複数あればそれもよし)、大学にまでいければきっと楽しい未来が待ってるってことは、確実にいえると思う。

 

親がいない、経済的な理由で大学に行けない、大学進学まで心がもたない

などなど正直な話、大学に行くまでに問題がないわけではない。

ただ、ここで提言した以上は、上にあげた3つの要因を緩和、ないしは、解消できるように多方面からアプローチをしたいとは思う。

 

方法はまだまだ思い浮かばないが。

 

とりあえず、人生を卒業するかどうかの判断は、50歳まで生きてから考えよう。

人生RTAは人生を半分生きてからで大丈夫。です。

 

今日はここまで。(乱文失礼しますた。)